日本において、M&Aが活発に行われるようになったのは、最近のことと思われている方が多いようですが、
実はそうでもない事実をご存知でしょうか。
長く遡ること20世紀初頭、後に財閥と呼ばれるようになる、三井、三菱といった非公開の同族企業群が、
官業払下げを含めた多くの事業買収を通して事業基盤を構築し、造船、炭鉱、金属などの工業化を推し進めました。
この、工業化初頭期に始まったM&Aは、実は必ずしも友好的なものばかりでなく、
欧米で行われているような敵対的買収や、経営議決権をめぐる議決権合戦まで繰り広げられたようです。
その後、戦前では電力業界での合従連衡、また第一次大戦期に急成長した鈴木商店は、
貿易商社として海外に拠点を確立する一方国内で買収を繰り返し、三井、三菱をも圧倒しました。
その後、鈴木商店は金融恐慌で破綻しますが、
その傘下企業はまたM&Aにより再編されることになります。
1930年代には、統合による規模の経済の実現を目的にした大型合併として、製鉄(八幡と6民間企業の合併)、
製紙(王子、富士、樺太の合併)、ビール製造(大日本麦酒と日本麦酒鉱泉の合併)等で再編が続きました。
またこの頃、財閥傘下企業の再編が進み、三菱重工、住友金属などが誕生しています。
また日産コンツェルンが傘下企業の株式公開と組み合わせた積極的なM&A戦略を実践し、
水産、石炭、金融等の分野において、欧米並みのコングロマリット戦略を実践したのです。
戦後、日本は反独占、過度経済力集中排除など、一転して企業組織分割の時代に入ります。
それまでに集中した財閥による産業組織は戦後改革の対象となり、財閥が解体され、
企業組織分割されることとなり、結果的に企業や金融機関によるM&Aが影をひそめる時代に入るのです。
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